こんにちは。大阪府池田市/阪急宝塚線池田駅の自然療法整体院【関西カイロプラクティック】院長の鹿島 佑介です。
群れの中で過ごすストレスでお悩みの方は多いと思います。
そんな群れから離れて孤独を楽しみましょう、という内容の本をご紹介します。
読むだけで少し心が軽くなるような本です。
送料無料【中古】SOLO TIME (ソロタイム)「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である
『私たちの行動の多くは、皆さんが所属する群れの価値観や習慣によって、無意識のうちに大きな影響を受けているんです。』
『ひとりぼっちのソロタイムを過ごすことによって、私たちは「群れの中で生きる自分」の姿を客観的に見つめ直すことができるということです。』
群れの中で生きるには群れの中での自分の役割をこなさなくてはいけません。
ありのままでは群れの中では生きていけないんです。
仕事が終わっても仕事モードがぬけず、あるがままの自分に戻れないと、疲弊してしまいます。
そのために「ひとりぼっちの時間=ソロタイム」が必要なんですね。
群れというのは仕事だけではなく、家族やグループ、大きくは国や社会などがあり、例えば家族の中の父親としての自分そしてルール、日本という国家の中での自分そしてルール、があります。
『私が皆さんにオススメする「ソロタイム」は、暗さやさびしさとは無縁です。それはむしろ「群れの中で過ごすストレス」から解放された、充実して、明るく、さわやかな時間なんです。』
特に現代社会では核家族が多いので、子育てをしているお母さんは、「ソロタイム」を持つことが非常に難しいですよね。
だから旦那さんはお休みの日は子どもを見ないといけないんです。
もちろん旦那さんも「ソロタイム」が必要ですが、外に出ている分、多少は「ソロタイム」をつくれますよね。
『「ひとりぼっちで過ごす」ことにさびしさや孤独感を覚えるとすれば、それは結局あなたが、今所属している群れ-会社や家族、友人-を失うことに、強い不安と恐怖を覚えているからに他なりません。
・・・・それは要するに「群れへの依存心」です。』
『群れから離れ、一人になることによって初めて、私たちは、辛く、さびしさに満ちた孤独感から解放されるのです。』
もともと私自身、群れへの依存心はほとんどない人間でした。
それはそれでいろいろと問題があります。
孤独が平気過ぎるのです。
いまは多少「群れへの依存心」が理解できるようになりました(笑)
それはSNSを始めてからですね。
現代はこういうコミュニケーションツールがあるから大変です。
「いいね」が押されないと「嫌われてるんだろうか」とかを考えるようになります。
LINEはほとんどしないのでわからない部分はありますが、グループというものがあるために「悪口を言われているかもしれない」とか思うんでしょうね。
現代人にとってSNSから離れなければ「ソロタイム」とは言えないですね。
『過剰適応に陥っている人は往々にして、自分がどれほど病的に群れからの期待に応えようとしてるかということに、気づくことができないからです。』
『とりわけ、私たち日本人には、他人や社会からの期待には、できるかぎり応えるべきであるという価値観が根づいています。』
世の中の仕事のほとんどがサラリーマン。
サラリーマンであり続けるためには適応していく必要がありますよね。
過剰適応状態になるとブラック企業いいたとしても会社をやめられなくなるんでしょうね。
『「人間というのは本来、どう生きたってかまわない」というのは、人生の大原則です。もし、誰かの期待に応えられなかったとしても、あなたは生きていていいのです。』
本来どう生きたってかまわない、もちろんある程度のルール(法律)は守らなければいけませんが。
ところが今の世の中は「どう生きたってかまわない」という考え方を否定する人が多いです。
そしてすぐに人を裁こうとします。
例えば私がこのような業界に入ろうと決心した時に忠告してくれる人がいます、『そんなので食べていけないよ』とか(笑)
残念ながらもう12年この業界で食べていってます(笑)
『普段過ごしている「場」や「空気」から離れないと、群れの疲れを癒やすことはできません。』
私自身、家庭の中には仕事のことは持ち込まないように意識はしています。
そして仕事以外のひとりぼっちの時間を大事にはしています。
私の場合は群れの中の自分を磨くのが課題なのかもしれません。
『私たちは何かに集中している時、「群れ」からの評価を気にせず、自分の内側にある、自分だけの尺度で物事に取り組んでいる、ということです。』
『その人が何かに集中し、没頭するのを邪魔しないことこそが、才能を開花させるという観点では、もっとも効果的な「教育」なのです。』
素晴らしい!!
私自身、子育てというものに正解はないと思っています。
でも私自身上記のことはいつも意識しています。
うちの娘も15歳になりましたが、正解だったかなんてわかりません。
私は子どもがやりたいと思うことは何でもやらせてあげよう、と思っていました。
でも現実に何かやりたい、と言ったのは、バレエ、公文、習字とくらい。
バレエは1年近く頑張りましたが、自分からやめたいと言い出したためやめました。自分の身体の硬さが天性のものと気づいたようです(笑)
公文と習字は現在も続いています。自分で決めたものは続くのです。
知らぬ間に毛筆6段、硬筆7段になっているようです。
習字に関しては「行きたくない」とか「休みたい」とか一度も聞いたことがありません。好きみたいですね。
私は毛筆3級、硬筆2級でやめた記憶があります。レベルが違います(笑)
『「群れ」からの評価をまったく度外視して、時間を忘れて対象に没入している時だけ、人は純粋に、学ぶことの喜びを感じる。』
誰にも過去に、時間を忘れて対象に没入していたことはありますよね。
それはもって生まれた才能なのです。だれにでも才能はあるはずです。
こんな才能役に立たない!!、と思う方が多いとは思いますが役立たない才能なんてありません。
『本当に心から他人の役に立ちたいと願うなら、まずは、自分を変えることから始めなければいけません。なぜなら、私たちは油断するとすぐに、自分の思うように動いてくれない他人を責め立ててしまう生き物だからです。自分のタスクに十分に向き合っていないうちは、他人に貢献することができないのです。』
タスクとは課題のことです。
自分のタスクを解消してないと他人に投影することにもなりますね。
私は人のせいにしている人を見ると腹が立ちます。おそらくこれは自分のタスクです(笑)
『感情に流されて生きることには、ハンドルを他人に預けて車を走らせると同じくらい、無責任で、危険なことです。』
感情は悪いものではありません。
コントロールできない感情は悪いものです。
『日常の中の小さな怒りを払う方法についてはさまざまなものがありますが、どなたでも取り入れやすいものをひとつ、ご紹介しておきましょう。それはスリランカ上座仏教のスマナサーラ長老から教わった方法です。やり方は簡単です。心に怒りがよぎった瞬間に、ゆっくりと三回、「私は怒っています」と唱える。たったこれだけです。』
今度私もやってみます!!
『身体感覚は、心の中に嵐が訪れる予兆を教えてくれる、センサーのようなものです。身体感覚を研ぎ澄ますことによって、言葉を発したり、行動したりする前にひと呼吸置き、無意味に議論をヒートアップさせるのを防ぐことができるようになります。』
緊張した時に自分の心臓の鼓動を意識すると落ち着いてきます。
腹が立った時にプルプルと震える自分の身体に意識を持っていくと、すぐに行動してはいけないことに気づきます。
『私は瞑想というのは皆さん一人ひとりが、人生から虚しさを払い、「これしかない!」という人生に出会うための、最短距離の方法だと考えています。』
『瞑想とは、群れから離れ、ひとりぼっちで自分の内側と向き合う時間です。そこで得られる「知恵」はきっと、あなたの胸の奥の虚しさを払う力になってくれるはずです。』
マインドスケープを学んでからようやく少し瞑想の時間を持てるようになりました。
湧き上がってくる直観がまさしく知恵なのです。
『自分の習慣を変えられる人は、習慣を変えることが面倒で、大変なことだということをよく知っている人です。』
『習慣を変えるためには、とにかく朝の時間帯に勝負をかけるべきです。朝の時間帯をどう過ごすのか、その日一日のその人の「心のレベル」を決めるからです。』
人間は朝起きてすぐ一番活発に活動できるようになっています。
『早起きして、午前中の時間を有効につかうには「夜は余計なことをせずに、早く眠る」ことが必要だからです。』
夜寝る前に考えることは100%何の役にも立たないですね(笑)
寝る前に決断してはいけません。
『多くの人が、群れの価値観や常識にあまりに合わせすぎてしまっているために、本来の才能を育むために必要不可欠な、自分の本当にすきなことに熱中し、没頭する時間を奪われているからです。』
ひとには必ず才能があります。
その才能は親からすれば生きて行くうえで役に立たないと思うかもしれません。
するとそんなの役に立たないから勉強しろ、ということになります。でも私は役に立たないことなんてないと思っています。
例えばゲームに夢中になってるとします。
私は「ゲームに夢中になれるなんてすごいな」と思います。
なぜなら私はゲームを楽しいと思うこともなく、続ける集中力がないのでゲームが嫌いだからです。
そんな才能何の役に立つの、と思うかもしれませんが、何事も最後まであきらめない精神力が磨かれるかもしれません。
『人間関係は人生の目的ではないのです。』
人間関係なしでは生きていけませんが、人間関係ができないからと言って悩むことはありません。
『最愛の家族や、長年つきあってきた親友であっても、「他人」である以上、決して自分の思い通りにはならないということ。』
⇒ 特に親子の関係は難しいですね。親子で血がつながっていようとも、その人の持っているエネルギー・魂は別物です。
『人生のもっとも大切な選択は決して理屈で選ぶことはできないんです。』
『幸せな人生を送るために大切なのは「何が何でも正しい道を選ぶ」ことではなく、後悔することなく、納得して選ぶ勇気ではないでしょうか。・・・人生の分かれ道は、他人の意見や理屈に頼らず、直観で選ぶ。』
何が何でも正しい道を選ぼうとすると、動けなくなりますし苦しくなります。
自分の直観で選んだ道なら後悔はありません。