こんにちは。大阪府池田市/阪急宝塚線池田駅の自然療法整体院【関西カイロプラクティック】 IBA認定ボディートーク施術士(CBP) の鹿島 佑介です。
メリークリスマス!!
メリークリスマス!!~心を楽にするはずの宗教的信念で苦しんでいませんか?~
もともとクリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日です。
私は中学から大学までキリスト教の学校に通っていました。
讃美歌は好きでしたが、キリスト教は嫌いでした。
キリスト教が嫌いというより、牧師の先生が嫌いだったということなのですが。
なぜ嫌いだったのか、というと通っていた学校はプロテスタントという宗派だったのですが、カトリックという宗派の批判をする牧師の先生がいたからです。
おそらくそういう人たちの宗教的な信念システムが集まって、戦争を引き起こしてしまうんだと思っています。
ちなみにカトリックでは牧師のことを神父と呼びます。
もともとカトリックに抗議して作られた宗派がプロテスタントですので仕方がないのですが、どうも納得いきません。
でも讃美歌だけは大好きでいつも礼拝の時間では全力で歌ってましたね。
ちなみにカトリックでは礼拝のことをミサと呼びます。
プロテスタントとカトリックの共通点は聖書の教義がもとになっているということです。
カトリックがどうのとかプロテスタントがどうのとか、どうでもいいんですけどね。
本当を言うと宗教(聖書)そのものが戦争を引き起こすのではなく、自分が正しく他は間違っている、という意識が差別を生み、差別するのが戦争につながるんだ、と思います。
心を楽にするはずの宗教的信念で苦しんでいませんか?
宗教的信念システムが人生に影響することもあります
以前ボディートークの施術で第8チャクラの影響で聖職者という内容が出てきたことがあります。
讃美歌が好きなのはその影響があるのかもしれませんね。
逆に純粋ではない宗教が嫌いなのかもしれません。
クライアント様の中にも宗教的な考えや信念システムが人生に悪い影響を与えてしまっている方がいます。
自分が正しく他の人が間違っている、を強化してしまうケースもあります。
すべての宗教的な信念システムが悪というわけではありません。
もちろんいい影響もあります。
それで心が軽くなるのであればそれは素晴らしいことです。
宗教的な信念システムの例
宗教的な信念システムの影響は現世でのものだけではなく、前世でのものやご先祖様のものも影響してくることがあります。
- 男尊女卑
- 一夫多妻
- 死生観(輪廻転生、死への恐怖、天国と地獄、など)
- 世界観
- 修行・苦悩・働くことなどの関する
- 罪悪感(人間は罪深いもの)
- 食事に関する信念(肉食に対する信念など)
- 自然観(自然に対する恐怖など)
など。
ボディートークでの施術で宗教的な信念システム悪い影響を断ち切れるかもしれません。
なぜ人は差別するんでしょうか?
じつは小学生のころから差別についての異常な興味がありました。
おそらく第8チャクラ(前世エネルギー)の影響はあるんでしょうね。
以下の文章にはもしかしたら差別用語が入っているのかもしれません。
小学校の時、ちょうど住んでいた地域の隣に被差別部落の地域があり、道徳の授業でいわゆる同和教育があったのです。
私はかなり変わった子どもでした。
その同和教育の在り方について引っかかったのです。
この同和教育だけでは結局ここが同和地区ですよ、と教えているだけのような気がしていました。
この同和教育が差別はいけないというだけで何故差別されているのか?についてはさっぱり何も教えてくれなかったのです。
差別を受ける歴史について自分なりに勉強しました。
ひとつは人が嫌がる仕事をやるしかなかった地域、例えば土地が痩せていているため、農業ができず、家畜を殺してさばくような仕事をするしかなかったという事情があるってことです。
権力図(政治的差別)の問題です。農業ができない人がする仕事やいい土地を持っていなくてもできるお植木屋さんや、よそもの(例えば沖縄の人や朝鮮の人)が集まって暮らしていた地域などがあります。
ごみを集めるなど人が嫌がることをやっていただいているっていう事実もあります。
そういう事情を教えずに表面だけを教えても全く意味が無いように思いのです。
私が変なところは、さらにあえて引っ越しして今住んでいる場所も、元そういう地域でもあるわけです。住んでみれば人間には何の違いもありません。
少し違うとすれば、今はその同和地域の差別を利用して、被害者意識の中で生きている人たちもいます。
下記の文章は不快に感じる人もいるでしょうね。
- 私たちは差別されているので仕事が無い。補助(生活保護など)をもらって生活をするのはあたりまえ
- あえて人が住みにくい場所に住んで被害者意識を強調する人たち(飛行場や基地など)
- 差別解放のリーダーとして権力を得てしまう人たち
など。
結構ブラックな話ですね。元大阪市長の橋下さんはこういう被害者意識をもっている人たちが嫌いだったんでしょうね。
排除しようとしてぼこぼこにやられましたけどね。
これは元々の差別とは違う意味になっています。
いまだに私が差別をここまで嫌う理由はさっぱりわかりません。
差別が嫌いだから差別に興味がある。不思議ですね。
心を楽にするはずの宗教的信念で苦しんでいませんか?
信念システムで苦しんでいる方、お気軽にご相談ください。