こんにちは。大阪府池田市/阪急宝塚線池田駅のホリスティック療法整体院【関西カイロプラクティック】院長の鹿島 佑介です。
まずは下記の映像を見てください。
白と黒のチームがバスケットボールをしています。
白いシャツのチームがパスする回数だけを数えてください。
皆さま、何回だったと思いますか?
種明かしです。
実はこのビデオで重要なのはパスの回数ではありません。
実はこの実験の目的は他にあるのです。
何かおかしなものが写っていたのに気づきませんでしたか?
ビデオの途中で、ゴリラの着ぐるみを着た女子学生が登場し、選手のあいだに入り込み、カメラのほうに向かって胸を叩き、そのまま立ち去ったのです。
そうです、気づいていた人もおられますよね。
脳は見ているものすべてを認識しているわけではありません~五感のフィルターによる錯覚~
上記の実験について書かれた本があります。
錯覚の科学 (文春文庫) [ クリストファー・チャブリス ]
驚いたことに、およそ半数の参加者がゴリラに気づいていなかったそうです。
『人が見落としをするという事実も重要だが、それ以上に興味深かったのは、自分の見落としを知ったときの、人びとの驚愕ぶりだった。』
この本を見て思うことは二つ、
- 人間は見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞いている
- 記憶というのはいい加減なもの
記憶の錯覚
「あいつ今何してる?」というテレビ番組があります。
小中高で懐かしの友人が今何をしているか、を調べる番組です。
この番組を見ていていつも思うのは「記憶というのはほとんどが思い込みでいい加減だ」ということです。
昔の友人の記憶と出演者自身の記憶が全然違うのです。同じものを見ていたはずなのに・・・
ひどい人は、告白した相手を間違えていました。友人ははっきり覚えていたんです。
どちらが正しいのでしょうか?どちらかが嘘をついているのでしょうか?
答えからいうと、どちらも実際とは違うものです。
おそらくそれぞれの記憶は本人にとっては結構鮮明な記憶であるため、自身の記憶が間違っているとは思えないでしょうね。
すべての記憶が自分の都合のいいところしか見ていません。
人は見たいものしか見ていません。見たくないものは見ないようにしています。
聞きたいことしか聞いていません。聞きたくないものは聞かないようにしています。
あいまいなものは都合のいいようにねつ造します。
ですので話しが食い違っても当たり前なのです。
五感にはフィルターがかけられています。
人間の脳は見ているものすべてを覚えているわけではありません。
制限(フィルター)をかけているのです。
無数の情報をすべて認識していると大変なことになります。
例えば、セミナーの音を録音したものを後で聞いているとびっくりすることがあります。
雑音や話し声というのが結構はっきり聞こえるということ。セミナー中はこんな雑音聞こえてなかった気がするのに・・・・・
先生と通訳の声を逃すまいと集中しているからですね。集中していないと逆に肝心の授業の内容が聞こえなくなります。
このなかで私の悪口を言っても気づかないでしょうね(笑)
人は重要度の低い情報には注意を払わないようにしているんです。
もし自分が悪口を言われているかもしれない、ということが重要な情報であるなら、どんな些細な悪口も聞こえるでしょうし、実際には自分のことではなかったとしても自分の悪口を言っているように聞こえるかもしれません。
関係妄想も五感のフィルターの問題です
統合失調症の症状の一つに関係妄想があります。
例えば、統合失調症の一種である自己臭症(PATM)の方は、「私が近づく鼻を押さえたり、鼻をすすったり、くしゃみをしたり、咳をしたりする」という事実があります。
他の人からはそうは見えないのですが、ご本人にはそう見えているのです。
なぜそうなるかというと関係妄想という問題によって、自ら周りのそういう人たちだけをフィルターをかけて見てしまっているということ
その気持ちを体験するために電車に乗った時に咳をしている人、鼻を抑えている人、咳をしている人、くしゃみをしている人、だけを集中して探していました。
すると不思議なことに結構たくさんおられるんですね。
普段は全然気が付かないのに。普段は重要な情報ではないので見えていてもフィルターでカットしているのです。
普段は五感のフィルターでカットされている情報なんですね。
ところが統合失調症の方はほかの情報がカットされてしまうのです。
結果「私が近づく鼻を押さえたり、鼻をすすったり、くしゃみをしたり、咳をしたりする」ということになるのです。
もしかしたら五感が敏感になっているのかもしれませんね。
最後に養老 孟司先生の言葉です。
『おそらく感覚を、ある意味でできるだけ貧弱にしていかないと、人間の社会に適応していくのは難しい。』