こんにちは。大阪府池田市/阪急宝塚線池田駅の自然療法整体院【関西カイロプラクティック】院長の鹿島 佑介です。
本日は、たまたま古本市場で見つけた80円で購入した本です。
養老さんの本はほとんど読んでいるつもりだったのですが、読んでない本だったので購入。
スマナサーラさんの本も何冊も読んでいます。
内容は対談です。
かみ合っているのか、かみ合っていないのかさっぱりわからないけど、最終的に言っていることは同じのような気がする、って感じの本ですね。
すべての内容が腑に落ちる、そして仏教の本質について理解できる本でもあります。
その中で気になった部分を引用します。
養老孟司「…必要なのは「人間とはなんだ?」という教育なんですね。それがあって当たり前で、本来お寺さんとか、宗教が担っている役割って、そういうことですよね。」
宗教はいいとこどりで自分に合う考え方だけをつまみ食いしたらいいんじゃないかと思っています。
スマナサーラ「いま、知識だけはみんな持っています。けれどはっきりいえば、知識なんて気持ち悪いものなんですね。生のチキンみたいなものだから(笑)。それで料理の仕方を知らないと、チキンを目の前にして、どうしよう、どうしようと途方に暮れちゃうんです。自分で答えを出せないんです。
それこそ私は、不幸だと思います。いっぱい勉強しているんですけど、どうにもならない。大部分は知恵がないためなんですよ。」
知識じゃなくて知恵ですよね。
いまの教育は知識ばかり教えて知恵を教えない、だから中身がまだ社会人になっていない状況で社会に放り出される、、、大変です。
養老孟司「、「わかってない」のは、ただの状態なんですね。それで、自分がわかっていくのが楽しいんです。答えを教えてもらって楽しいわけがない。教えてもらった答えに価値なんてないんですよ。
…だから「できたほうが偉い」っていうのは間違い(笑)。そんなの人間の価値とは関係ないんですよ。できようが、できまいが、たんなる状態に違いでしかないんだから。
できるやつとできないいやつがいるというのは、当たり前の話し。そんなの100メートル走らせたら、すぐわかります。じゃあ遅いやつが生きている価値がないのかっていうと、全然関係ないじゃないですか。」
同じようなことを過去に言われたことがあります。
ゴルフがうまいからって偉いわけじゃないんだよ、と。
養老孟司「予測したことをやるのでは、生きることにならないじゃないかということです。その意味では死んでいるんですよ。日本人は全部。」
人生を生きれていない人は私も含めて多いですよね。
私は35歳までは死んでました。
養老孟司「そもそも生きているということは、一寸先はわからないということ。お釈迦様の言葉でいえば、「一切は無常である」となる。これは真理なんです。すべては常に変化しているんです。だから考えたようになるわけがないんですよ。」
まさしく時に流れに身を任せる、しかないんですよね。
スマナサーラ「やっぱり先のことなんてわからないんですね。無常とは、世界は無常、私は無常ということで、すべてが一定、同じ速度で変化しているということなんですね。だから次の瞬間にはいまと同じようには考えていない。刻々と自分も変わっていて、また世界も環境も変わっているんだからね。」
自分も常に変わっているというのは、仏教の一番素晴らしいところです。
私は○○だ、という自分はすべて幻です。
スマナサーラ「心も体もすべて、一瞬たりとも停止しないで変わっているんです。それを無理やり「生きている」とか「私」とかいう。それはただの概念でね。ロクなことはない。」
私の好きなみうらじゅんさんも「自分なくし」という言葉を使っていますね。
同じような概念だと思います。
スマナサーラ「変わらない人は、話を聞かないですよね。偉そうに知識人ぶって「こうだからこうではないか」と言って帰る。知ることに貪欲なふりをしているけど、本当は知ることに対してバリアを作っているんです。
変わるのが怖いのではなく、自分(自我・エゴ)を出したいんですね。「私はこういうものである」と言わないと、気がすまない。
人はつねに変わっているんですよ。それは自然の法則です。
変わらないと思っているんです。
「変わる」というのは、「つねに変わっている自分を認めない、というあべこべ思考がなくなる」ということです。内も外も絶えず変わっていると理解する人は、落ち着いて生活できる。』
本当にその通りで、私というのは幻想です。
養老孟司「生き方を変えていかなきゃいけないことはわかっているけど、変えたくない。だから「変えないですむ理由をだれか教えてくれないか」と言っているんだと思う。』
養老孟司さんは他の本でも「希望とは自分を変えること」とおっしゃっていたのをすごい覚えています。
希望とは人や世の中を変えることではないんです。
スマナサーラ「自分にとって、簡単で単純そうに見える、それこそつまらないとでも思っているのなら、私だったら「だったら、とことんやってください」と言いますね。本人に簡単で単純なら、他の人には難しくても、とことんやると一人前になって、人々の役に立つ。誰でも仕事抜群のプロに頼みますからね。
ただたんに「やりたいだけ」なら、やめたほうがいいんです。人間の心というものは、できないこと、まったく才能がないことがやりたくてたまらなくなるけど、できないんだから、本人の役にも、まわりの役にも立たないですからね。
自分ができる肝心なことには、価値を感じないんですよ。』
自分が簡単にできることが、実は特技だったりします。
でもできることは意外とつまらないですからね。
つまらなくても自分の能力を使って人に役に立つことをするのが天職ですよね。
こういう仏教的な考えは違う人がそれぞれ自分の言葉で表現されているので面白いですよね。