こんにちは。大阪府池田市の自然療法整体院【関西カイロプラクティック】院長の鹿島 佑介です。
先日、こんなことがありました。
他で診てもらっている先生から、他での施術は受けないよう言われたので、矯正は無しでお願いしますということでした。
では何しに来たの、という感じではありますが、私はちょっとイラっとしてしまいました。
「では。矯正の必要性が出てきた場合、途中でストップになりますがよろしいでしょうか?」というお話はさせていただきました。
他の治療院の施術方法を否定しない
当院では、西洋医学も含めてすべての治療法を受け入れています。
他の治療院や治療法を否定することはほとんどありません(薬について例外は少しだけありますが、それでも薬をやめろということは胃薬以外はありません)。
他の治療法と同時の治療もOKですし、別の治療法を受けた当日でもOKですし、その日に、別の治療法を受けてもOKにしています。
「私が正しい」というつもりはありません。
この問題に対して、私がイラっとしたのには、理由があるのです。
それは何故かというと、私自身に「すべての治療法を受け入れる」「他の治療法を絶対に否定してはいけない」という信念システムがあるからです。
裏を返せば「自分自身が頑固ですぐに他の施術法を否定してしまう」からそれはダメだということで、そういう信念システムを作ってトラブルにならないように対応しているだけなのかもしれません。
自分が正しくて他の人が間違っているという感覚や他の治療院を否定するのは、すべて「分離」の意識から始まります。
分離の意識とは?
「分離」という概念を説明するのは非常に難しいです。
「分離」にはいろいろな意味がありますが、あまり深いところを考えると宗教的になってしまうのでサラッと説明します。
- 右脳と左脳の分離
- 顕在意識と潜在意識の分離
- 自己と他人の分離
- 集合意識と自己の分離
などなど
その一番深い部分は「集合意識と自己の分離」いうことになります。
この考えを最初に提唱したのがスイスの精神科医であるユング氏です。
ユングが提唱した心理学はユング心理学と呼ばれます。
「集合的無意識からの分離」は自分と他人という概念を生み、自我を生み、それが2極化を生みます。
2極化とは「善」か「悪」か、「良い」か「悪い」かを判断することです。
2極化が起こると「自分」と「他人」を分けるようになり人と比べるようになります。
でも、自分と他人を分けるのは当たり前のように聞こえますよね。
「集合的無意識からの分離」の意識は、例えば、自分は他人より優れている、という間違った信念システムが生まれます。
その思いが、怒りや嫉妬などの感情や、争いが生じます。
自分と他人につながりを意識することで、自分も他人も同じ人間、と意識することになり、怒りを怒りや嫉妬を感じなくなったり、争いが無くなります。
当院でおこなうボディートーク療法には、分離の意識という項目があります。
⇒ ボディートーク療法について詳しくはこちら
この部分を説明するのに一番わかりやすい説明をしている本があるのでご紹介します。
以下、太字の部分は引用です。
『まずは「たった一つの命」風船に例えるところから始めてみよう。イメージしてほしい。とても伸縮性に富んでいて、突いても伸ばしても決して割れない風船があるとする。
この風船が「存在のすべて」、唯一無二の「命」だとしよう。「神」とか「愛」、「ソース」や「空」と言ってもいい。そしてその風船の中に詰まっている空気を「意識」と呼んでみよう。これがいわば、「分離」という幻想世界が生まれる以前の「神の意識」だ。
じゃあ今度は風船(神の意識)に細工をして神以外の意識(人間の赤ちゃん)をつくってみよう。風船の一部をつまんで、内側から外側に向け圧力をかける。するとそこに小さな膨らみが生まれるだろ。この小さな膨らみが「赤ちゃん」として現象界で認識できる時限に突き出る。それは、新たな命が誕生したのではなく、風船の形状の変化があったということだけのことだ。で、その小さな膨らみの根元に「捻じれ」を加えてやると・・・元の意識との間が閉ざされる。ここでできた出っ張り、小さな膨らみの中に隔離されている空気(意識)が「私」という独立した感覚を生む。これを繰り返すことで人口は増加する。元は一つの同じ意識(空気)だが、「捻じれ」というエネルギー(私と私以外のものを分ける壁)が出現したことで、それぞれが独立して感じられるようになる。
この小さな空間に隔離されている意識が「自我」や「顕在意識」と呼ばれるもの。またこの「分離」の感覚を生む「捻じれ」のことを「カルマ」と呼ぶ。
だから、「自我という何か」が存在しているのではなく、「自我という状態」があるということ。また「カルマという何か」が存在しているのではなく、捻じれという状態がある、ということなんだ。この関係から「カルマ(捻じれ)が解消されることで、自我(分離意識)は消失する。
ほらこのねじれ画なくらると・・・・ポンッ!この「ポンッ!」の瞬間が、いわゆる「さとり」や「見性」、「目覚め」と呼ばれている現象だね。
さらにこの「捻れのない状態」=「分離感覚の消失」=「全体としての意識」という自覚が「ワンネス」という言葉で表現されているんだ。
捻れという運動とは別の、「データとしてのカルマ(命に吹き込まれた記憶)」だ。この風船の中には、生命活動のありとあらゆる記憶が内包されている。
誰かの誕生の際、この記憶データの一部が、意識とともに「小さな膨らみ」に流入されるんだ。そのデータが、生まれながらの性格や気質、才能、趣味嗜好、または性別や体形などといった特徴を決定づける。
だから、1人が「たくさんの前世の記憶」をもっていても当然だし、同じ前世の記憶を持つ者が複数人いても不思議じゃない。』
(引用終わり)
究極は宗教的表現になるかもしれませんが、すべての人がもともと神だということですね。神はユング心理学でいう集合意識です。
「全ての人の中に神がいる」「すべての人が繋がっている」と思うことにより怒りや嫉妬、争いがなくなります。
怒りを感じる理由は、自分自身の信念システムが影響していることが多いですよ!!
私も気を付けます。