こんにちは。大阪府池田市/阪急宝塚線池田駅の自然療法整体院【関西カイロプラクティック】院長の鹿島 佑介です。
先日、骨やカルシウムに関するこのような記事を見つけました。
『骨、と聞くと真っ先に「カルシウム」「骨密度」という言葉が思い浮かぶ方も多いでしょう。実際、骨の体積の約半分はカルシウムやリンを主体とするミネラル成分でできています。でも、骨の成分はカルシウムだけではありません。残りの半分は、タンパク質の一種であるコラーゲンです。
「硬い骨の半分がコラーゲンでできている?」と多くの方は驚かれますが、骨の中でコラーゲンはとても大切な役目を担っています。』
『骨の構造を理解してもらうために、私はよく、鉄筋コンクリートの建物にたとえてお話しします。
コンクリートに相当するのがカルシウムで、鉄筋はコラーゲンにあたります。通常、鉄筋コンクリート製の建物は大きな地震が来ても簡単には崩れ落ちませんが、これは鉄筋がしなって、地震の衝撃を吸収してくれるおかげです。
骨も同様で、カルシウムなどのミネラル成分とコラーゲンの分子が粘り強くつながり合うことで、骨の強度を保っています。
骨に存在する無数のコラーゲン分子は、棒状のタンパク質です。建物でいうところの鉄筋1本がコラーゲン分子1本で、「架橋」(かきょう)と呼ばれるものが「梁」(はり)の役割を果たして、隣り合う鉄筋同士(コラーゲン同士)をつなぎとめています。
この無数のコラーゲンが骨に粘り強さ、「しなり」を与えます。コンクリート(=カルシウム)だけの建物は瀬戸物のように粘り強さがなくパリンと割れてしまいますが、鉄筋(=コラーゲン)が足りない骨も、まさにこれと同じです。強度が足りず、弱く劣化しやすいというわけです』
https://toyokeizai.net/articles/-/842139 より引用
カルシウムは骨折を防ぐ?
以前セミナーでフィシオエナジェティックを教えているオーストリアのラファエル先生が、こんな事をおっしゃっていました。
「カルシウムがなくても骨は折れない」!?
⇒ フィシオエナジェティックについて詳しくはこちら
正直、最初聞いたときは本当かな?と思いましたが、よくよく考えてみる簡単に理解できます。
何故なのか?については骨の構造を考えるとわかります。
骨を鉄筋コンクリートのビルに例えるとカルシウムはコンクリートで鉄筋はコラーゲンなどの結合組織です。
コンクリートが無くなっても鉄筋がしっかりしていれば倒れない(折れない)。
鉄筋(コラーゲンなどの結合組織)にはある程度の柔軟性が必要で、硬すぎる鉄筋構造は振動や揺れに弱くなります。
カルシウムは骨折を防ぎません。
重要なのはコラーゲンなどの結合組織なのです。
カルシウムパラドックスとは?
骨粗鬆症の本当の問題点はカルシウムが骨以外のところに多い事です。
カルシウムパラドックスという言葉があります。
カルシウムパラドックスについてchatGPTに聞いてみました。
カルシウムパラドックス(Calcium Paradox)は、主に心血管系に関連する生理学的な現象や疾患に関する概念の一つです。この概念は、カルシウムイオンが細胞内外でどのように振る舞うかと、それが健康に及ぼす影響について議論されることがあります。
通常、細胞内にはカルシウムイオンが必要であり、神経伝達や筋肉の収縮など、さまざまな生理学的プロセスに関与しています。一方で、細胞外のカルシウムイオン濃度が高くなりすぎると、細胞内外のバランスが崩れ、細胞や組織に損傷を与える可能性があります。
カルシウムパラドックスは、カルシウムイオンの取り込みと放出に関与する細胞内のメカニズムが正確に調節されているにもかかわらず、一部の疾患(例:冠動脈性心臓病や心筋梗塞など)において、カルシウムイオンが異常に細胞内に取り込まれ、細胞死や炎症などの悪影響を引き起こすことを指します。
この概念は、カルシウムイオンの調節が健康維持にとって重要である一方で、その調節が崩れることで疾患が発症する可能性があることを示唆しています。研究者たちは、このメカニズムをより深く理解し、心血管系の疾患の予防や治療法の開発に役立てようとしています。
カルシウムパラドックスと言う言葉はあまり好きではありません。
個人的に結論を言うと、カルシウムは神経伝達などにも必要な栄養素ですが、細胞にとっては毒でもありますので、少量を血液に流して他は骨に貯蔵しておくことによってカルシウムの害を防いでいる、と思っています。
骨粗鬆症の治療にカルシウムは大変危険!!
当然のことながら骨粗鬆症の人にカルシウムを摂取させることは大変危険です。
骨にカルシウムが貯められない状態でカルシウムを摂ると、そのカルシウムは体中を流れ関節や靱帯などの組織にたまって石灰化したり、血管に溜まって石灰化したり、結石の原因になったりします。
動脈硬化の原因にもなるということです。