こんにちは。大阪府池田市/阪急宝塚線池田駅の自然療法整体院【関西カイロプラクティック】院長の鹿島 佑介です。
平等に、という概念はとても難しいです。
現実にはありえません。
それは何故かというと、
「平等ではない、という妬みがある限り無くならない」ということです。
平等の意識と妬み・僻み・嫉み
昔、私が小学生の時自分の家は貧乏だと思っていました。
お小遣いは学年×100円、お年玉も使えなかったですし、クリスマスも誕生日プレゼントもありませんでしたから。
周りも私のことをそう思っていたのです。
当時よく公園で野球してましたが、グローブ持っていたのが一人でしたし、私ももちろん持っていなかったです。
それでも十分楽しい小学校生活でしたよ。
ところが私が受験をするという段階で、友達の態度が少し変わった気がしました。
私は受験の意味も全く分かっていなかったので…
その理由は後で知ることになります。
中学生になって初めていった学校がお金持ち学校であることに気づきました。
ある時、小学校の友達とすれ違ったときに声を掛けたら、無視されました。
その友だちは母子家庭でした。
多分私が金持ちなのに嘘ついていたことが許せなかったのかもしれませんし、妬みなのかもしれません。
ショックでした。
これは私の問題でもないし親の問題でもなく友達の問題なんですが、当時は私の親のせいだ、って勘違いしていましたね。
貧乏だ、って思っていた時はそんなこと考えたことなかったのに、金持ち学校に入ったとたん、私の中に恨みや僻みが生まれてきました。
親に対して、そんなお金あるんだったら誕生日プレゼントくらい欲しかった、と思うようになり、どんどんひねくれてきました。
結果、バブル崩壊とともに大きな借金を背負った親に対して、ざまあみろ、と思うほどまでに病んでしまうことになりました。
社会人になってから学校名を言うだけで「金持ちのボンボンやん」と言われるたびに、どんどんひねくれていきます。
親のせいでもないのに、困ったものですね。
ちなみに今はもう親に恨みはありません。